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《此処に在りしは、焔の御子──》
夜道を駆ける俺の前方で、
《
強く踏み込み一気に先生を飛び越して、跳ぶ。
同時に刀を抜き、〝なにもない〟空間を赤く輝く刀身で薙ぎ払った。 ──〝なにもない〟。 眼の前にあるのは、真っ暗な闇であり、色で言えばただの黒い壁だ。 しかし俺たちは、その色が何を意味するもので、何がその色を生み出しているのかを、知っている。 甲高く、しかし濁った声のような音が夜闇を
俺たち
「ソウくん、向こうに大型のが居るよ」
「刀持ちたちは?」 「気付いてない。壁みたいな先に到着していた刀持ちたちに《煤祓い》を任せて、俺は先生の灯りの示す先に向かった。
赤い光に支えられるように宙に立つ先生は、夜闇の中では文字通り浮いて見える。 しかし刀主の周囲に仕える刀持ちたちは、その光景にはすっかり慣れていてすぐに箒を手に走り出した。 夜住を祓った後には、夜住の煤が遺る。 まるで最後まで生にしがみつくようなその煤は、結局人間が集めて始末をするしかない。 刀持ちたちの中にはその煤を集める役目の者が居て、彼らは煤の目立つ真っ白な衣装を着ている。 煤が身体に残って、夜住に取り憑かれるのを防ぐためだ。 彼らの役目もまた、命がけのものだと言ってもいい。 そうして集められた煤を、夜住を祓う火種の燃料にするのだ。 なんとも皮肉な循環だとは思うが、もう何代も続いてきた戦い。 帝都が帝都と呼ばれるようになる前から、刀主を筆頭とした刀持ちたちが祓い続けてきた呪いだ。 それを……じきに俺が引き継ぐ。「お兄ちゃーん! 応援に来たよっ!」
「先生の白い影を追いながら駆けていると、横道から俺よりも頭一つは小さい少女が合流してきた。
だが彼女はまだ17に達したばかりの子供だ。
女学校にも通わず、俺たちと共に刀ばかり振って、すっかり行き遅れ気味だ。 そんなことも気にせずに、彼女は己の身の丈ほどの刀を器用に抜き払ってみせた。用語集 灯守の祝詞:火族四家それぞれの灯守が別個に持つ祝詞。刀主の刀に灯し火を宿す時に唱われる。 煤祓い:倒した夜住が残す煤を始末する役目。刀持ちだが、主に煤の対処を担当する特別な役目。
「普段僕たちが相手にしているのは夜住でしょ。でもここに落ちてくる人間の数は減るどころか、増えてるんだよね」「それは……誰かが……?」「そー。何かが故意に殺して、もしかしたら夜住にしてるのかもしれないね」 絶句して、神風さんが口元に手を当てる。 しかしその目は死体の幻影から外されることはなく、徐々に広くなっていくように感じる地下室の全てを見つめているようだった。 オロチに関わる死者と、先生は言っただろうか。 つまりここに居る死者たちは──オロチと関わった霧子さんが殺した可能性もあるって、ことなのか? 優しくて頼もしかった霧子さんの姿が、先生の語る霧子さんと重ならない。 先生は「自分に信用がなかった」と言っていたが、神風の封庫であの霧子さんを見ていなかったら、俺も先生の言葉を真っ直ぐに受け止められたかどうか。 最年長の刀主として俺達を見守ってくれていた霧子さんを、疑えた、だろうか。「……ま、信じなくてもそこはしょうがないよ。いきなり言われてびっくりしてるだろうし」「……え」「もうちょっと行った所に神守の封庫があるから、そっちも見よっか。入るのは面倒だけど、君たちなら大丈夫だと思うよ」「せ、んせい」「……どっちを信じても、僕は君たちの意見を尊重するよ」 まるで心を読んだような先生の言葉に、俺は咄嗟に言葉が出てこなかった。 しくじった、と思っても、もう遅い。 違うんだと、貴方を疑ったわけじゃないと言いたくても、言葉が出てこなければ無意味だった。 せめて俺は、俺だけは、先生の言葉を即座に受け入れなければいけなかったのだ。 先生は、慰めて欲しいなんて決して思っていないだろう。 けれど、でも、霧子さんのことで衝撃を受けたのは間違いなく先生も同じだったはず。 先生は、斬られた当事者だ。 その事実を周囲に聞き入れてもらえなかった
ふと、俺は足を止めて先生の背中を見る。 なんで先生がここでいきなりそんな話をしてきたのか、正直すこし疑問だった。 だって、話の流れが急すぎる。 先生はいつも頭の軽い風を装うけれど、軽薄なわけではない。 何か深い意図があって、俺達をここに連れてきたんだ。「先生、その霧子さんは、本物なんですか」「……え」「うーん、流石ソウちゃん! いい着眼点っ」「ほ、本物って……明神様、それ、あの……」「俺と日向子は、神風の屋敷でおかしなものを見ました。明らかにおかしい、霧子さんです」 俺と日向子が神風の封庫に居る時、本来は神風の当主と灯守でないと入れないそこに、霧子さんは入ってきた。 開かれていない扉、まっさらなままだった雪。 そして先生は、治療室に霧子さんを入れるなと、俺に言ったんだ。 なんでだろう、どうしてだろうと思っていたけれど…… それは、霧子さんだったから、入れるなと言ったんだろうか。 刀主会でもそうだった。 先生は決して霧子さんの近くには並ばなかった。 源一郎様の隣に座って、全員を見渡せる場所で状況を見守っていたんだ。 それは……それは、つまり、そういうことだったんだろうか。「僕はねぇ、ソウちゃん。深神霧子を一切信用してないよ」 ゆっくりと振り返り、先生が言う。 チリリ、と鈴の音がシンとしている地下の中で響き、あちこちからカラコロと反響があった。 なんとなく音を追うように周囲を見た俺は、ハッとして一歩、後退してしまう。 そんな俺を見て同じように地下室の中を見回した神風さんも息を飲み、日向子が拳鍔を構えた。「僕はもう見えないけど、ここにはね、オロチに関わる死者の姿が投影されるんだ」 周囲に重なっているのは、死体だった。 無数の人間の死体の隙間にあるのは、煤の山だろうか。
俺と神風さんが床に降り立った時、勝手に戸が閉まっていく音がした。 何らかの術力を帯びているのだろう。 神風の封庫を思い出しながら、日向子と先生が角灯の火種を強く燃やすのを見守る。「ここならいいかな。あのね、3人とも」 僕はね、深神は最初から信用してないんだよ。 表に居た時よりも静かに吐き出された先生の言葉に、ゴクリと息を飲む。 ようやく閉じた扉。 俺が2人立てるくらいの高さの地下。 そこに降り立ってやっと、先生はそう言った。「元々八岐之大蛇は、神守、神風、深神の三家が過去に封印したものでね。20年くらい前かな。またアイツが顔を出し始めた時、もう一度その三家の刀主で戦うことになったんだ」 「そ、それが……直紹様のお母様……」 「そうだよ。僕と、直紹のお母さんと、まだ刀主になる前の霧子」 「霧子……さん……?」「でもね。もう少しで倒せるかもって時に、霧子が僕と真江を斬ったんだ。僕たちは、逃げるしか出来なかった」 母様。 神風さんの呟きは、小さな子供のソレのようだった。 神風真江。 確か、先代の神風家の当主であり刀主だった女性だ。 神風さんのご両親はどっちも刀持ちで、どちらも神風さんが幼い頃に亡くなったのだと聞いている。 そのせいで神風さんはかなり若い段階で当主として担ぎ上げられ、年齢に反して当主でいる時間は長いのだと。「な……んで、今までなにも……だって今までずっと……」 「んー、新しい灯守がついたってのもあったし、ある程度睨みを効かせてたってのもあるんだけど」 「そ、そういえば昨日、沙弥さん来てませんでしたね……深神様は、お一人、でした……」 「深神には霧子の他に当主やれるのが結構お年のばあ様だけだった、ってのがひとつ。当時の僕に霧子を引き下ろせるだけの信用がなかったってのが、もうひとつ」 先生の手から、ふわりと角灯が浮いて橙の灯りが周囲を照らした。 角灯の光の
「………………は?」 自分でも、思っていたよりも低い声が出た。 腹の底から、とにかく深く深く、息を吐き出すような声だった。 日向子が、神風さんの背後に隠れる。 神風さんも、パッと胸元まで両手を上げる。「深神の裏切り……?」「うん、そう。その時、直紹くんのお母さんが亡くなったんだよ」「! あの時の話ですかっ」「そうそう。あ、そこの扉重いから気を付けてね」「あのあのあの! 今ここでする話なのでしょうかっ!」 もう何をどう聞けばいいのかわからなくなっていると、わぁっと日向子が泣きそうな顔で声をあげた。 確かに、そうだ。 よく見れば変な風に取っ手に手をかけたせいで爪が割れているし、ジワジワと血も出始めていた。 落ち着け。 取っ手を握ったまま数回深呼吸をして、グッと力を入れ直す。 落ち着け、落ち着け。 自分でも何度も何度も言い聞かせた言葉。 しかし、戦闘中とは違う単純な混乱は、いくら気持ちを落ち着けようとしても少しも落ち着いてはくれなかった。 ガコン、と音を立てて開く扉。 パラパラと埃を落としながら両開きに開いた扉は、そこそこの重みでもって俺の両腕に負荷を与える。 内側から漂ってくる墨と紙の匂い。 その匂いで不思議と心が落ち着いていくようで、俺は数回深呼吸をして、扉を完全に開け放った。「いや落ち着けるかぁ……」「あれ、まだ気にしてた?」「最後までちゃんと聞きますからね……日向子、悪いけど中照らしてくれるか」「は、はひ! 勿論です!!」 落ち着け、落ち着けと繰り返せば繰り返すだけ、頭の中で子どもの俺が地団駄を踏む。 先生を見つけた頃の俺が、地面をゴロゴロ転がっているような感覚だった。 聞きたいことがありすぎるが、この扉の先も気
寒い雨の日。 今までは、自分でも「なんであんな早朝に外に出ていたんだろう」なんて思っていた、けれど。 けれどそれは、もしかしたら、俺の番を見つけるために飛び出していたのかもしれない、なんて。 冷や汗に背中を冷やされながら、思ってしまう。「あの、帳さん」「はい、直紹くんっ」「今の……オロチと戦って負けた後という話、私、大まかにしか聞いていなかったのですが……煤になりそうだったというのは初耳ですよ」「あ、うん。言ってないからねー」 挙手しながらの神風さんの言葉にもヘラヘラと笑いながら、先生は倉の中をズンズン進んでいく。 見えない目で進んで大丈夫か、と慌てて後を追うが、頭の中は未だに混乱状態だ。 神風さんは完全に「呆れた」という顔をしている。 それには同感だけれど、先生がヘラヘラしている時は何かを隠している時だってことを、俺は知ってる。 正直、神風さんが先に先生の過去を聞いていたというのにはモヤッとする所は、ある。 あるけど、そこをツッコんだら多分先生はこの先何も言ってくれなさそうで、言えない。 はぁ、と溜め息を吐けば、日向子と拍子が重なって白い息がふたつ、倉の中に浮かんだ。「帳さん、そろそろもう」「あぁうん、わかってるよ。大丈夫、ちゃんと話すよ」 スタスタと先に行く先生が、不意に立ち止まって足先で床を探り始めた。 見えないせいで先に行けないのかと思ったが、違う。 足元にある何かを探っている、そんな仕草だ。 俺は先生に近付いて、すぐ隣で床を見た。「ソウちゃん。床にね、わかりにくいけど取っ手があるはずなんだ」「取っ手ですね」「うん。その先が神守の封庫。多分みんなが知りたいことを全部話せると思うよ」「先生がオロチに負けた理由とかですか?」「あはは」 先生に言われて、俺はすぐに床にしゃがみ込んで取っ手を探した。
やっぱり、という謎が一つ確定した安堵と同時に、なんで今まで教えてくれなかったんだという少しばかりのショックで、頭痛がした。 なんでこの人、こんなにケロッとしてるんだろう。 先生にとってはそんな大きな問題でもないのか?「僕の目とね、ソウちゃんの目はね、ある意味おそろいなんだよ」「おそろい……?」「僕の目はね、八岐之大蛇を倒そうとした時に、失敗しちゃって持ってかれちゃったんだ」 チリリ、と、先生の帯の鈴飾りが音を立てる。 今まで少しも聞こえてこなかった鈴の音は、まるで先生の心のゆらぎを現しているかのようで。 俺の心臓が、ドクドクとやかましく鳴った。「ソウちゃんと出会った時にはギリギリ輪郭くらいは見えてたけど、今はもう明暗もわかんなくなっちゃった」「……それの、どこが……おそろいなんですか」「だってソウちゃんの目は、段々と視えるようになってきてるでしょう?」 俺の肩をぽんぽんと叩きながら、なんでもないことであるかのように、先生は言う。 ズンと重くなってくる眉間をグイグイと押しながら、俺は先生の言葉を噛み砕こうと必死になった。 神風さんと日向子は、口を挟まない。 挟むべき場面ではないと思っている、のだろうか。「さっきソウちゃんが言ってた通り、ソウちゃんの目は〝真実を焼き出し、虚偽を暴く〟目だよ」 また先生が、俺の頬を手で包んで、目の下を親指で少しばかり引き下げる。 そこまでの距離に近づかれると、俺の目には先生しか映らなくなって、暗闇の中に先生がぼんやりと浮き上がっているようにすら見える。 先生の目は、まっすぐに俺を見ていた。 けれど、俺の視線と先生の視線が絡むことは、なかった。「ソウちゃんの目はね、結構珍しくてさ。僕も初めて会ったときびっくりしたっていうか、君の目だからあのとき僕を見付けられたんだろうねぇ」「俺、だから?」「そう。あの時ちょーどオロチ
「お疲れではないですか」 ぼんやりと外を眺めていた帳は、ふと声をかけられて視線を室内に戻した。 鼻をくすぐるのは、質のいい抹茶だろうか。 あたたかな湯気を感じるそれは、帳のすぐ近くに置かれたようだった。「直紹くんこそ、疲れてるんじゃない?」「もう、慣れております」「そっかぁ」 最近は働き詰めだろうねぇ。 いつもより少しばかりのったりとそう言って、帳は自分の近くに置かれた茶碗にそっと触れた。 これもまた高そうな、手触りの良い茶碗だ。
そういえばあの時──和穗が目を覚ました時にも、和穗は「失敗しちゃった」と言っていた。 俺を責めるのではなく、自分が失敗したのだと。 ハルだって、目覚めた和穗に「良かった」と言うだけで、態度は普通で。 なんでなんだ。 なんで、怒らないんだ。 番は、絶対の存在なんじゃないのか。「怒るようなことじゃないだろ。だって俺たちは、刀主と灯守なんだから」 俺が投げ出した木刀を、ハルが拾う。 寒い稽古場の中、雪解け水の音なんかは気にしないでハルはニヤリと笑った。 俺たちとは
「……怒ってないのか」「なにを?」「俺は……和穗を斬った」「……あ? もしかして、それを気にして散漫になってたのか?」 そりゃ、そうだろう。 意外だ、と言いたげな表情をするハルに、俺は声を絞り出しつつ頷いた。 刀主と灯守は、番という契約で繋がる存在だ。 伴侶ではないけれど、それ以上に強い力で結ばれた相手。 そんな相手を斬られて──俺なら、普通ではいられないだろう。 先生が傷つけられ
「ほい、集中してない」「ぐっ!」 ガァンッ 木刀がぶつかり合っただけなのに、鉛のように重いものが落ちてきたように錯覚する一撃。 ほんの一瞬意識をそらした瞬間に打ち込まれたソレを、真正面から受けてしまった。 両手で持っていた木刀は半ばから折れ、ビリビリとした痺れに残った半分も取り落としてしまう。 俺が和穗を傷つけた夜から、丸一日が経過した。 あの後俺は何も言うことが出来なくなってしまって、和穗の消耗も考えて場がお開きになったのだ。 本当は色々と話すべきだったし、話を聞くべきだったというの